滋賀県近江八幡市の安産・厄除け・人形供養

高野山真言宗 補陀洛山 誕生院 長光寺
0748-37-7743

滋賀県近江八幡市の安産・厄除け・人形供養

高野山真言宗 補陀洛山 誕生院 長光寺
長光寺について

長光寺とは

長光寺

長光寺は弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峯寺を本山とする寺院です。

御本尊は『千手子安観世音菩薩』で正面に本堂、右に大師堂、左に不動堂を配します。

聖徳太子御建立(611年)四十九院の随一であって、其の当時には壮広たる七堂伽藍であったことが古書に依って知られます。

戦国時代には戦火に飲まれ焼尽する所となりましたが、宝暦1753年玄広木食上人に依って再興され現在に至ります。

寺名

長光寺(ちょうこうじ)

住所

滋賀県近江八幡市長光寺町694

山号

補陀洛山

院号

誕生院

宗派

高野山真言宗

開創

聖徳太子(592~628年)

再興

玄広木食上人(宝暦1753年)

本尊

千手子安観世音菩薩(秘仏は50年に一度の御開帳)

びわ湖百八霊場

第75番

准四国八十八ヶ所霊場

第76番

詠歌

やみじには まよいぞはて志 ほだらくの
みのりの月の 長き光りに

長光寺の沿革・歴史

長光寺の始まりは、推古天皇の御代、聖徳太子がお妃と共に「老蘇の森」(長光寺から北東4キロ地点)に仮宮されていた時、妃が産気づかれ御難産になられました。

そこで太子は「仏法」を信じ御仏の御加護を一心に祈りなさいとお諭しされました。

妃はひたすら諸仏の慈悲を仰がれた所、西南の方より一人の童子が現れて「汝が願いは、正しく観世音が救い給う」と言って飛び去って行きました。

その後まもなく妃は無事に安産されたということです。

不思議に思われた太子は使いの者に童子の去った後、行方を探させました。

聖徳太子御霊石

すると、南西約4キロの所に山があり、その麓に八尺(3m)の香木(栴檀の一種)とその香木の根元には同じく八寸の霊石のようなものがあり、青・黄・赤・白・紫の五色に光り輝いてました。

感激された太子が、自らその霊石に丁寧に読経なさると、たちまち光明の中より千手観音の尊像が現れました。

太子はのちに、この香木で千手観音像を刻み腹中に法華経・維摩経・勝鬘経の三部のお経を籠めて本尊とされ、この地を転妙法輪、仏教長久の地として、ここに本堂、金堂、法堂、鐘楼堂、僧堂、食堂など七堂伽藍を建て、峰には十二社権現、東には薬師、十二神将、西には弁財天等をお祀りされました。

これが長光寺の始まりです。

その後、何度も戦火に飲まれ焼尽する所となりますが、霊石は今も長光寺に安置されており、御本尊の『千手子安観世音菩薩』も安産の仏様として親しまれています。

御前立千手子安観世音菩薩の後ろに御厨子があり、秘仏はその中に安置され50年に一度の御開帳となっております。

※御開帳の秘仏は、写真撮影禁止です。ご了承下さい。

文明七年(1475)灰燼と化し、後に足利義満の計らいで再建するもそれもまた兵火により焼失。

寛永二年(1625)松平定綱の命により復興に着手、宝暦(1753)に玄廣 木食上人に依って再興され寺域を今の一小区域に定め現在に至ります。
長光寺ゆかりの歴史上の人物は、三位中将平重衝・後光厳天皇・織田信長・足利義満・馬淵氏・柴田勝家・玄広木食上人・松平定綱。
関連文献は源平盛衰記巻三十八(鎌倉)・太平記(鎌倉)・東関紀行(鎌倉)・信長公記巻三(安土・桃山)等。

そして此の地を記念する為、霊木(栴檀)の余枝を御宝前に植えられたのが、現在の花の木(ハナノキ)であります。高さ約15m、周囲約3mの巨木で天然記念物に指定されています。

主な仏像と謂われのもの

阿弥陀如来坐像(市指定文化財 平安時代)

獅子頭(市指定文化財 南北朝時代)

白瓦(白鳳時代)

ハナノキ(市指定天然記念物。日本最南限。推定樹齢500~600年)

聖徳太子の御霊石

御本尊千手子安観世音菩薩

長光寺の御本尊は「千手子安観世音菩薩」です。

その謂れは、沿革と歴史でも述べましたように聖徳太子がお妃と共に「老蘇の森」に仮宮しなさった時、妃が産気づかれ御難産に陥られました。
そこで太子は仏の加護を諭され妃はひたすら祈られた所、仏の遣いの童子が現れ、速やかにご安産なされました。

童子が去った方角に八尺の香木がありその根元の五色の霊石に太子自ら手を合わされ祈られたところ光明の中より千手観音の尊像が現れました。
驚いた太子はこの時、香木で千手観世像を刻み本尊とされました。

故に、長光寺の御本尊は「千手子安観世音菩薩」で、今も安産の仏様として親しまれております。

 

※秘仏は御厨子の中に安置されており50年に一度の御開帳となります。
※御開帳の秘仏は、写真撮影禁止です。ご了承下さい。

ハナノキ(天然記念物)

開花したハナノキ

長光寺のハナノキは高さ約15メートル、周囲約3メートルの巨木で、大正11年に近江八幡市の天然記念物に指定されました。
日本最南限のハナノキで、聖徳太子が植えられたという伝説の木であります。

聖徳太子の妃がご難産の時、千手観音の遣いの童子が現れ速やかにご安産なされました。

童子が去った方角に3メートルの高さの香木(栴檀の一種)がありその香木で千手観音像を刻み御本尊とされ、輝く石柱の上に本堂を建立されたのが長光寺のはじまりです。

そして、この時、太子が此の地を記念する為、霊木(栴檀香木)の余枝を御宝前に植えられたものが現在の長光寺のハナノキと言われています。

ハナノキ

カエデ科で春には可憐な花が咲くところから「花の木」と呼ばれています。

葉の形が人の頬に似ているので「おたふくの木」とも呼ばれています。

秋の紅葉は素晴らしいです。

花ノ木の花が咲くのは4月上旬、紅葉は11月20日前後が見頃です。

三弥底部論 巻中(長光寺一切経)

三弥底部論 巻中(長光寺一切経)

三弥底部論 巻中(長光寺一切経)が現存することが、琵琶湖文化館の調査で判明しました。

鎌倉時代の弘安4年(1281年)に写された古経典です。中世の長光寺に、あらゆる経典類を集めた「一切経」が備えられていたことはこれまで知られておらず、近江の仏教史を塗り替える新発見となりました。

鎌倉時代には長光寺に大部の一切経が備えられ、名産の武佐墨で大量に書写されたとみられています。

「三弥底部論」はインドの特殊部派が成立させた仏教書で、日本や東アジアでは一般的なものではないため、「一切経」の一部として書されたと考えられています。

※三弥底部論:経(釈迦の教え)・律(教団の規範)についての論書。

境内のご案内

境内マップ
四国八十八ヶ所霊場

准四国八十八ヶ所

不動堂
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本堂
本堂
大師堂

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墓地

各家のご先祖様をご供養しております。

永代供養墓

永代にわたりご先祖の供養をさせていただきます。

【受け入れ対象】

1. 真言宗長光寺の檀信徒

2. 一般希望者(仏教信者であれば宗旨宗派は問いません)

3. 生前申込みの方、並びに各家ご先祖様

地蔵

水子地蔵

手水舎

手水舎

ハナノキ

日本最南限のハナノキで、聖徳太子が植えられたという伝説の木です。

鐘楼

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空いているスペースにお止めください。

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ハナノキ 日本最南限のハナノキで、聖徳太子が植えられたという伝説の木です。
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アクセス

住所

〒523-0013 滋賀県近江八幡市長光寺町694

交通・駐車場

車でお越しの場合

名神竜王IC、蒲生ICより約15分

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JR近江八幡駅乗り換え 近江鉄道 武佐駅下車 徒歩5分

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